未来社会への覚悟(02/7/11)



 ある人が今、どういう情報を欲しているかということには、
当然のことながら、
その時点における、当人の心理状態が反映されている。

 最近の僕の場合は、煮え切らない日本社会へのイライラが、
かなり頂点に達しつつあり、
そうはよくならない未来について、覚悟すべき点を覚悟して、
1日も早く、
少なくとも自分の心の中だけでも、
スッキリさせたいという衝動に駆られている。


 まず。

 かなり前から、自分の中にある「時代認識」や「未来への姿勢」としては・・・。

@日本の1人あたりGDPはまだ世界で2位。
 悲観するばかりで、
この「成功している状態末」について、
楽しめない奴は、全く馬鹿だ。

AアメリカやEUもそれぞれ偉いが、
時と場合によっては、
一人当りGDPで日本に満たない国の奴らに、
いちいち指導されるいわれはないと開き直ろう。

Bが、これからの世の中、
いつまでも日本人が韓国人の倍、中国人の10倍以上もの
平均賃金を取れるような話になる訳はない。
 物質的には「豊か」でなくなることを享受しつつ、
そういう「近代」的な豊かさに変わる価値を確立しよう。
 中進国の皆さんを、今さら羨ましいとか脅威だとか思うのもやめよう。

C人生の前半で起こった「バブル」とか「高度成長」とかは、
あれはあれで面白かったじゃんと思おう。
 結局、「近代」の中での成功なんてあの程度のこと。
 人生、2種類のことを体験できるのもまたよし、だ。

Dよく考えれば、自分は別に、
組織や学歴に食わせてもらっている訳じゃない。
 また幸か不幸か、
55年体制的「既得権益」を得ている側でも何でもなければ、
資産財産を含め、
社会的に失うことを恐れる必要があるようなものも何もない。
 キャラ的にも平時ではない時の方がポジションは上。
 世の中が大きく変わり、時として混乱することについては、
大歓迎する立場に立とう。


Eとはいえ。
 どうせ日本は変わらないという諦めも持とう。
 別に日本国と心中するばかりが能じゃない。
 例えば、赤の他人の老後やら、税金でデカイものを作りたがっている奴らに「搾取」され続けることにキレたら、
日本人であり続けるかどうかについて、
きっぱりと判断させてもらう意思を用意しておこう。

 以上である。


 で。

 最近は、以上のような「覚悟」を
もうちっとブラッシュアップし、確固たるものにしておきたいという衝動に駆られており、
もっぱら近代と近未来にかけての分析本ばかりを読んだりしてる訳。 

 すでに読み終えたのは4冊で
@榊原英資の「新しい国家をつくるために」と
A経済産業省にいる友人、齋藤健氏の「転落の歴史に何を見るか」、
B学生時代の恩師、難波田春夫&田村正勝先生が20年余り前(!)に書いた「こうなる、10年後の日本経済」
あとは
C堺屋太一さんの「平成三十年」の上巻。


 @については、江戸時代の「士農工商」が、
明治維新以降、何に置き換わったかという着眼点が一番、ためになった。
 武士は官僚やサラリーマンに。
 で、農村人口を吸収したのが「土建国家」のシステムで、
ああなるほどねと思った。

 Aはかっての日本軍の衰退史と現在の日本社会を重ねあわせた労作だが、
特に、現代社会の問題点をとても端的に指摘してくれていた点、
一縷の望み(?)を託すものの1つが、
「団塊」、「新人類」と僕らが属する「名無し世代」の
特徴を活かした役割分担だとした点が、
ぼんやりした意識を、かなり具体的なものにしてくれた。

 Bについては、何たって昭和53年(!)の作。
 高度成長末期の「行け行けドンドン期」においては、ほとんどと言っていい程、
一般には注目されなかった本だけど、
「バブル」という多少の番狂わせはあったものの、
消費の停滞、労働運動の限界、土地や財政問題、銀行の吸収合併等、
今ではその予測が90%以上が「みごと」に適中している。
 今のサラリーマンや官僚の議論の常識となっている「悲観的部分」について、
あの時点でほぼ完璧に「予言」しているのだから、
これはかなり凄いことだと思った。


Cは面白いけど、何たって原稿自体は97−8年の朝日新聞連載(以降、堺屋さんが大臣になったため、発行が今頃になった)で、
5年も前のものだからね。
 「当たっている」分、B同様「そんなの当然じゃん、今頃なに言ってるの?」と思われてしまうのが、可哀想な所。

 だけど。
 堺屋さんは「このまま何も改革できないとこうなってしまう」という「最悪の事態」について書いた、
と言っておられたが、
僕には「平成30年の幸せ」について書かれた本としか思えなかったな。
 って言う程、
以降の進展(?)の中で、
「そういうの全然、最悪じゃないじゃん」としか思えない点が
多数ある。

 賃金は韓国並、デフレも進まず、財政的にも「アルゼンチン」にはなってない 等々。

 ちょっと「最悪の事態」にしては楽観的すぎて、
僕など、15年後もまあぼちぼちタラタラやってるのね、
としか思えなかったよ。

 あと。
 まあ半分しか読んでなくて言うのも悪いが、
現実の方がずっと早いという部分もある。
 ネット社会はすでに7−80%は「平成三十年」の水準(笑)だし、
「改革派」のカリスマ総理はすでに出てきて、
もう消えて行きつつあるよ(笑)。