後楽園ゆうえんちの「未来日記」(00/7/12)


 雪印は相変わらずの泥沼。昨日の夜、全国規模での工場休止が発表された。
 おまけに今日、森永でも自主回収事件があった。
 中毒騒ぎからたった2週間。信用が崩れるのって、本当に一瞬だね。

 さらに今日、そごうの事実上の倒産が決定した。
 経営陣の中にはお世話になってる人もおり、仕事上でも何人かの知り合いがいる。
 もちろん他人事とは思えないし、お気の毒にも残念にも思う。
 でも、今回の政府の判断は間違っていない。
 今回の決定で大きいのは、大企業といえども国が安易な救済策をとることはないよってのがはっきりした事だ。
 世論と政府は、色んな面での日本経済のウミを出していく方向にかじを切った。
 大手ゼネコンとかも含め、これからもいくつかのビッグネ−ムが倒産することになるのだと思う。

 で、どこかのニュ−ス解説者が言ってたけど、何とかの法則によると、
負けには30だか20だかの敗因があり、そのそれぞれに、やっぱり30だとかの「ほころび」があるんだって。
 正直、身につまされる思いがするな。

 で、少し私事で恐縮だけど。
 僕らの団体は職員たった10人。
 うち半数がプロパ−だが、十数年間の活動の中で、一人も辞めた者がいない。
 単に甘い、仕事にそれなりにやりがいがある、それなりに上手く働いてもらってる、同程度以上の待遇での転職先がない 等々の理由があるのだと思うが、平均年齢はスタ−ト時の20代後半から、今や40をかなり越す所まで来てしまった。

 正直、毎日は一人一人を「思考停止」にさせない事との闘いだ。
 「現状でいいと思ってる人、変わろうとしない人は要らない」とまで本心を公開している。
 僕たちの場合は、当面、収益拡大に応じて新規の採用をしていく事には限界があるため、できるだけ若い外部スタッフや学生、アルバイトなどの知恵や力も借りてやって行こうともしているが、長くやっている人たち個々の向上心や感性やマンパワ−の衰えをカバ−するには、実はものすごいエネルギ-が必要なのだ。

 皆もちろん、それぞれに一生懸命やっているし、経験によるプラスもある。
 だがどうしても、情報やあ仕事を抱え込んでしまう人、枝葉やル−ティ−ンにばかり気をとられて「根」が枯れてきている事に気づかない人、権限を権威と勘違いする人や一段高い「評論家」と化してしまう人、同種団体があの程度だからこの程度の仕事でいいと思う人、嫌いな仕事を避けようとする人など、色んなパタ−ンの弊害が出てきてしまう。
 そんな「ほころび」の10や20は、今の自分や自分の周囲にだって、明らかにある。

 で、何が言いたいかというと、組織ってのは、僕たちの様な小さく目配りがきく所がたった十年程度やっただけでも、そうなる傾向があるって事。

 はっきり言って、全般的傾向としては、大きく、歴史があって、いわゆる「偏差値の高い」組織の方が「思考停止」状態はヒドイ。
 個々人は優秀でも、組織として全くその「思考」が活かされない事だってある。
 少なくとも今、元気がある組織は実態年齢にかかわらず皆「若い」し、言葉は悪いが、「偏差値がそんなに高くない」所の方がずっと多い。
 当然、自分にとって価値があるのは前者の会議で座ってる事ではなく、後者の人たちと焼き鳥でも食べてる方だ。

 さて、そうやって組織の寿命や脱「思考停止」状態について考えているさ中、
今週、TVで2つばかり「オッ」というものに出くわした。

 一つはサミットに先駆けて開催された、参加国の「高校生会議」。 
 各国の高校生を沖縄に招いて開かれたもののドキュメントだったのだけれど、「なるほど会議ってこうやる訳ね」っていう事に、今さらながら感じいった。
 まず会議に、具体的なアイデアがない奴は完全に馬鹿にされるってム−ドがある。
 例えば環境分科会なら環境問題について、各国の高校生がそれぞれに具体的なアイデアを持ってきて、そのよしあしを議論しているんだもの。
 それだけでも批評家や字句修正係が幅を利かせる大人の会議とはエライ違いだ。

 で、皆がズバズバと意見を出し合って、アイデアが色々発展したり否定されたりする。
 分科会の総意としていいものを作るために、そこに集まってるんだって事を、皆、分ってる。

 で、そのうちいくつかが本会議にかけられ、高校生たちの「総意」として、サミットにも提案されるって仕掛けらしい。
 そりゃ、大人からすれば、「そんなもん、どうこうでできない」ってものもいっぱいあった筈だけど、でも世の中変わっていくのってそういう、ある意味で無邪気なアイデアが実現した時なんじゃないかなと思う。

 何だかお恥ずかしいけど、自分たちのやってきた会議やシンポジウムって一体何だったのかな--って感じがした。

 もう一つはこの夏の、後楽園ゆうえんちのイベント「未来日記」。
 今日、在宅勤務でTVつけながら仕事してたら、ワイドショ−が取り上げてた。
 要するに、ウッちゃんナンちゃんの人気番組でやってる「未来日記」を、遊園地で一般のカップル参加型で再現するって訳。
 まず、入場したカップルには「未来日記」の冊子(何通りもある)が配られる。
 で、二人はそれに従って行動する。
 例えば、二人が別々に質問に答え、それぞれに答が指定した待ち合わせ場所でおちあう。
 一例だが、両方に「いずれ結婚してもいい」という答がでたら一発で出会えるが、食い違いがあれば、なかなか再会できなくなる。
 かと思えば、急におまわりがやってきて彼がその辺の柵につながれ、彼女に指令が渡されたりする。
 で、彼女が何とかの泉まで鍵を探しに行って彼の施錠をとく。
 高い所に昇る何とかっていう乗り物では、男に指令入りの望遠鏡が渡され、「彼女が大好きだったら思いきってキスしろ」とか書いてある。
 で、あっちでもこっちでもキスしてたりする。

 おっさんの遊園地関係者を何人か知ってるけれど、皆、「ディズニ−は別格だ」とか「もう遊園地の時代じゃない」とか「観覧車はメインゲ−トの左側が原則です」とか「やっぱりジェットコ−スタ−は3回転しないと」だとか、だいたいそんな話ばっかりだ。
 でも、本当に重要な点は実は単純で、要するにカップルならカップルが、色んな施設を使って楽しい時間を過ごせればいいという事だし、また来たいねって思ってくれればいい訳だ。

 この「未来日記」。
 意外とこんなのを、コロンブスの卵って言うんだろうな。 
 
もう手づまりって言われてたこの業界でも、金をかけない手作りのシステムで、色んな楽しみ方が、まだまだ提供できるんだな--と感心した。
 単なる番組への便乗だと言えば、それまでだけど。

 で、自戒も込めて言うと、
変わっていく、あるいは進歩していこうとしない人や組織、
そのための「知恵」を出そうとしない奴、それからその「知恵」を吸収できないような組織は、
遅かれ早かれ、まあこれからは全く不要になるんだろうなと思った。

 雪印もそごうも、全く他人事じゃない。